逆境を跳ね返す地域一番店戦略:街の電器屋さんの3類型


街の電器屋さんとは何か、何をしているのか?

家電は今や家電量販店で買うのが常識となり、街の電器屋は年々減り続けています。かつて3万店近くあったパナソニックの系列店は、すでに2万店を割り込んでいます。営業を続けている店にしても、経営者の高齢化が進んでいるうえ、親の苦労を見て子どもが後を継ぎたがらないため、後継者がいないケースも多いのです。

このような電器屋さんはどのようにして産まれ、どのように現在の苦境に至ったのでしょうか?それでも生き残っている電器屋さんは、何をしているのでしょうか?

街の電器屋さんは、元々は電球や二又ソケットなどといった電気関連の器具(照明器具)を細々と販売していました。それが、家庭の電化の進行に伴って商売の範囲を広げ、家電製品が日常生活の中で一般的に使われ始めた高度経済成長期に、急速に増えていきました。

その多くは個人経営の商店ですが、家電メーカーがこれらを手厚く保護することで他業種には類を見ない流通形態が形成されました。特に、上述のパナソニックの系列店ネットワークは強力でした。

1960〜1970年代には、いわゆる三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)に代表される大衆の強い購買意欲の対象となる家電製品が登場しました。各家電メーカーはこぞってそれらを発売、激しく競争して全国各地の電器店を支援することで、地域の電化を進めていきました。

この時期に、脱サラして独立し繁盛電気店を開業した人が数多くいたのです。

この時代には文字どおり日本全国津々浦々、地方農村・漁村や離島にまでさまざまな家電メーカーの名を掲げた「電器屋さん」が見られました。2001年ごろのパナソニック系列の「電器屋さん」とセブン-イレブンの店舗数を比べると、その時でも圧倒的に「電器屋さん」の方が多かったのです。

こうしたメーカー主導の流通構造に挑戦を挑んだのがダイエーをはじめとする量販店です。ダイエーは全国展開を行ってバイイングパワーを高め、松下電器をはじめとするメーカーに値引きを要求して価格競争を挑んでいきました。なかでも松下電器との価格決定権争いは激化して90年代まで続き、後に30年戦争と呼ばれました。

こうした中でメーカー優位の流通構造が80年代にアメリカから批判され、92年に松下電器、ソニー、東芝、日立家電の大手4社が公正取引委員会の立ち入り検査を受け、93年には排除勧告が出されてメーカーは価格維持政策ができなくなりました。

さらにディスカウント店や、ヨドバシカメラなどの駅前立地で安さと商品知識を武器にする新興量販店が勢力を強めてきました。家電流通がメーカーの特約店から量販店にシフトして価格競争が激しくなるにつれて、メーカーは価格決定権を失っていました。

さらに、大店法撤廃をきっかけに大型量販店が全国のあちこちに見られるようになり、価格競争力を失った街の電器屋さんは消えていったのです。

こうして衰退の一歩をたどっている街の電器屋さんですが、中にはしっかりと経営を続けているお店も存在します。そうした店が何をしているかは、“街のでんきやさん”って何しているの?という記事を見るとよくわかります。

量販店との差別化を図るため、工事など手間のかかる商品を手がけています。また、対象顧客も使い方に不安感を持つ地域の年配顧客を対象としていることがわかります。

この量販店対策について、もう少し詳しく検討して見ましょう。

量販店に対抗する地域一番店戦略

街の電器屋が衰退していく原因は、いうまでもなく量販店との競争に負けるからです。量販店の方が、価格が安く、しかも一社だけではなくメーカー全社に渡る豊富な品揃えをしているからです。

このような状況にもかかわらず、売上を増やしている元気のある街の電器屋が存在します。でんかのヤマグチ、セブンプラザ、アトム電器チェーンなどです。

これらの店が「元気がある」理由は自明です。量販店と同じ土俵での勝負を避けているのです。

でも、これは「言うは易し、行うは難し」ですね。その通りにできるなら、多くの電器屋さんが衰退せずに済んでいるはずだからです。

では、何が難しいのでしょうか?それは、これら3社が共通してやっている「価格志向・売上重視から粗利重視」への発想の転換です。

「量販店に負けるのは価格が高いからである、負けないために価格を下げないと売上が減る」と言う恐怖感に駆られて価格競争をしても、体力が追いつかず結局は場外退場となります。でも、それが分かっていても改めらません。それほど売上重視の体質は根深いのです。

成功している3社は、いずれも店員、家族、取引関係者などの反対を押し切り、経営者の独断でこの罠からの脱出を決断しています。成功する確信はなくても、それ以外に競争に勝つ方法はないと論理的に決断したのです。

このような決断ができるか否かが、競争環境での生き残りの成否を分けるのです。

このような決断ができれば、とるべき方策は自然に見えてきます。量販店が苦手なことをやれば、粗利が取れるからです。

具体的には、次の2つの方策をとれば良いのです。

  1. 量販店と差別化できる、あるいは量販店が力を入れていない商品・サービスで粗利を確保する(地域一番店戦略で言うマイナーブランドを決める)
  2. 量販店が構造上できない顧客対応に固定費を使いブランドイメージを高め、そのイメージに反応する顧客に対しての商品・サービスの価格を上げる(ノンカスタマーを決める)

この中で一番わかりやすいのが量販店と差別化できる商品・サービスです。これが、上述のリンクの「アンド・はとや」がやっているエアコンなどの設備品の販売とその設置工事です。

大手の量販店でエアコンを買うと、誰が工事に来るかがわかりません。腕が悪いかもしれないし、高齢者や女性にとっては見知らぬ人が家の中に上り込むという不安もあります。また、時間も量販店の都合で制限があります。

このような場合に、顔なじみの腕の立つ職人さんが自分の都合に合わせて来てくれれば、二重の意味で安心だし便利だということです。

元気な電器屋さんは、どのお店もこの種の設備品の工事の獲得に注力しています。ここで設備品とは、エアコン、エコキュート、IHクッキングヒーター、温水洗浄便座、浴室乾燥機などです。これからわかることは、エアコン以外はどちらかというと生活に余裕があったり意識の高い顧客が対象だということです。

元気がある電器屋さんの地域一番店戦略におけるマイナープランドは「設備品とその工事」になるわけですが、それでは顧客(ノンカスタマー)は誰なのでしょうか、その顧客をどう獲得するのでしょうか?

この点が3社各様なので、その点を調べてみましょう

でんかのヤマグチの御用聞き戦略

でんかのヤマグチは、町田市と旧相模原市を商圏とする電器店で、現在も社長を務める山口勉氏が、東京オリンピックの翌年の1965年に松下通信工業を脱サラして始めました。まさに、高度成長期に急速に増えた電器店のひとつだったのです。

その後順調に業績を拡大し、当時の地域店としては最大クラスの150坪の店舗を建てるなどで、ピーク時の1996年には売り上げが16億円に達していました。しかしその後町田周辺に、ヤマダ電機、コジマ、ヨドバシカメラなどが進出し、熾烈な価格競争に巻き込まれ大幅な減収減益を余儀なくされました。

このままではジリ貧だと山口氏が決断したのが、量販店のような安売りに流されることなく「高売り」をすることでした。高売りとは、単に価格を高くすることではなく、いかにして粗利率を上げるかという粗利主義へのシフトを意味します。

地域の電器屋の粗利はずっと25-26%で推移して来たのですが、これを35-36%&にすると社員に通告しました。さらに、社員の評価や給料も売った商品の粗利で計算することにしたのです。

その結果、1996年には16億円の売上で粗利率が25.6%だったのが、2007年には売上12億円で粗利率が37.8%となりました。売り上げが減っているにもかかわらず、粗利は4,160万円増えているのです。

もちろん宣言しただけでは、この粗利増は実現できません。このために取った施策が思い切った顧客削減です。高売りに応じてくれる顧客だけを相手とした商売に転じたのです。

ヤマグチは創業以来、店売りだけでなく「御用聞き」をして来たという特徴があります。年配の顧客やその親の世代の一人一人の顧客とじっくり話し、必要とされるモノやサービスを提供するという姿勢を堅持して来ました。

粗利主義を徹底しようとすると、さらにキメの細かい御用聞きが必要です。また、すべての御用聞き顧客が高売りを受け入れるわけでもありません。

そこで、それまでの御用聞き顧客が35,000世帯あったのを11,000世帯まで削減したのです。そのことにより、今まで月1回しか訪問できなかった得意先に3回通えるなどのメリットが生まれたのです。

顧客の削減は、いわゆるRFM分析(R: Recency, F: Frequency, M: Monetary)(最近買ったか、どれくらいの頻繁に買ったか、買い上げ金額は大きいか)のうち、RとMを用いました。(耐久消費財を売っているので、Fはあまり意味をなさないからです。)

Mについては、最近5年間の累計購入額をもとに、100万円以上の顧客をAグループ、30万円以上100万円未満をBグループ、30万円未満をCグループとしました。

Rについては、1年未満に購入した顧客を1、1年以上3年未満を2、3年以上5年以内は3としました。

このような分類に基づいて提供するサービスのレベルを決定したのです。例えば、A-1、B-1のグループへの訪問は月1回、A-2、B-2、C-1には2ヶ月に1回などの様にしたのです。さらに、A-2、B-1をA-1にする戦略なども考えました。

この様にして、痒い所に手が届く様な顧客サービスを実施することにより、売上減にもかかわらず粗利増という結果を実現したのです。

ヤマグチの場合は、テリトリごとに専任の営業担当者を決めて御用聞きを実施しています。この運用には固定費がかかります。

しかし、御用聞きに価値を認める顧客にはヤマグチのブランドイメージが絶大となり、固定費の投資に見合った粗利が獲得できるのです。この様な固定費のかけ方は、薄利多売を旨とする量販店には決して実施できないものであり、量販店との競争を回避できるのです。

ヤマグチの場合は、もともと成功していた電器店で顧客ベースが大きかったこと、町田という首都圏郊外の住宅地の立地で商圏内に裕福な年配客が多いことなどが幸いして、この様な大胆な顧客削減戦略が取れたわけですが、「戦略とは捨てることなり」を地でいく決断は大いに参考とすべきでしょう。

セブンプラザの地域密着戦略

次に、ヤマグチとは正反対の田舎の地域一番店のセブンプラザの例を見てみましょう。

セブンプラザは、鹿児島県大隅半島の鹿屋市を創業の地としています。鹿児島、宮崎、熊本を中心とした、直営店9店、フランチャイズ店54店からなる地域家電店チェーンです。

セブンプラザの特長は、潰れかけている田舎の零細家電店を次々と再生させていることです。フランチャイズ加盟時に年商が1000〜2000万円であったものを、1、2年後に倍、3年後に5000〜7000万円とし、最終的には1億円を目標にするところまで持って行く、という実績を多数挙げています。

その実績の源は、社長の山口貞利氏自身の家電店経営の経験にあります。

セブンプラザは、1967年に山口社長が脱サラして創業しました。お金がなかったので店舗を持たず、客先を訪問する外販スタイルで営業を始めました。この辺の状況は時代背景も含めて、ヤマグチと全く同じです。

その後30坪の店舗を構え順調に業績を伸ばし、81年には社員7,8人を雇用し、年商1億5400万円になっていました。白黒テレビからカラーテレビへ、冷蔵庫は2ドアから冷凍室搭載へと、新しいものが次々と出てくる時代で、外販中心で売るのも楽だったのです。

ところが、その頃から夕方馴染み客を訪問すると電気を消されて居留守を使われるなどのことが起こり始めました。

外販の限界を感じた山口社長は、70坪の店を構えて店売りに転換しました。最初は売上が上がらず店舗費用の資金繰りに苦労したものの、ベスト電器鹿児島本店の品揃えの観察などを通して、88年には年商3億2665万円を達成しました。

88年には、「21世紀を目指す大型家電専門店」という看板を掲げ、セブンプラザチェーンを結成しました。その後、移転して拡大した本店を240坪に増床し、他にも直営店を出店するなどにより、97年には年商10億9984万円となったのです。

ところが、翌98年にケーズデンキが出店し、その年の年商が7000万円もダウンしました。その後も、ベスト電器、デオデオ、ヤマダ電機と、400-600坪クラスの店が次々と出店し、包囲網を敷かれてしまったのです。

山口社長は、ケーズデンキが出店した時点で大きな危機感を抱き、素早く転身しました。粗利を重視する「コンビニ家電店戦略」を構想し、小型の直営店をオープンさせていったのです。

その結果、直営店の年商は06年度で8億985万円まで落ち込みましたが(チェーン全体は44億円)、粗利は04年のヤマダ電機進出時より増大させたのです。

このように、量販店との価格競争を避け粗利重視に転換したとことはヤマグチと全く同じですが、地域性が異なるので、とった戦略は全く違います。

セブンプラザのとった戦略は量販店との共存共栄です。その背景には、田舎の過疎化だけでなく、量販店の進出で地域店の過疎化も進んでいることがあります。

本来存在しても良いはずの地域店までも無くなってしまっているので、3000世帯くらいの商圏に25坪程度の店を出して、商品の故障などで困った時に手厚いサービスを提供する「かかりつけ電器店」の商機があると読んだのです。

この戦略のもとに、セブンプラザは、チェーンに加盟してきた零細店を、再生、育成、拡大の3つのステップで成長させて行きます。

再生ステップでは、最初に「ダイヤモンドのように輝く店づくり」と称して、店舗の改装を行わせます。この裏にあるのは、外販から店売りへの発想の転換を迫ることです。

地域のお店は、量販店との価格競争に負けるため、大きな商品はなかなか売れません。そのため、店主は修理などに走り回り、そこでつかんだきっかけをもとに商品を売る、という外販モードになります。

その結果、店舗は見捨てられ、薄暗く古い商品が並んでいて、奥さんが片手間に店番をしているものとなります。これが、売上重視の悪いサイクルです。

山口社長は、このサイクルを脱却して、粗利重視で小物商品を売れと言っているのです。小学の固定費をかけ店を明るく都会風にして、小物商品(電球、電池、インクカートリッジ、DVDなど)を充実すれば、近隣の人が寄ってくるというのです。

小物で価格が高くないので、わざわざ量販店に行くまでもなく、近くの便利な店で買ってくれるのです。それだけで年商が1000万円(3000世帯で世帯当たり年平均5000円程度)くらい増えるのです。

零細店に絶対的に不足しているのは売上で、その源は客不足です。外販でこれだけの売上増を実現しようとすると人員増が必要ですが、店売りは効率が良いので、店番の奥さんで実現できるのです。

その上で、増加した客数に手厚いサービスをして、少しは大物商品が売れるようにしていけば良いのです。

ヤマグチの顧客削減とは全く逆方向で、小物商品を通してとりこぼしていた地元の客数増を図るのです。

再生の次の育成ステップでは、計数感覚が全くなくどんぶり勘定の店主の教育をします。(この件については、別のところで解説します。)さらに、売上が向上し、経営能力が向上して余力がでてきたところで、より立地の良いところへの移転などを含めた拡大ステップに入るのです。

量販店との対抗を支援するアトム電器チェーン

最後に、上記2つとは異なり、量販店との対抗策を授けるアトム電器チェーンについて。簡単に解説します。

アトム電器チェーンは大阪に本部がある自称フランチャイズチェーンです。フランチャイズチェ—ンと言っても、実際の店舗運営を指導してくれるわけではありません。

アトム電器が支援してくれるのは、設備品を粗利を確保した上で量販店並みの価格で販売することです。

具体的には、アトム電器の購買力を元に仕入れたエアコンなどの設備品の仕入れ価格と全国の量販店価格を比較し、量販店同じ価格で売った場合に粗利(勝ち負けはあるが30%を目標に仕入れている)がどれくらい取れるかを教えてくれます。

加盟店は、これを元に顧客と交渉することにより、今までの価格で負けて顧客が量販店に流れると言う事態を防止できます。粗利を確保しながら流出を防止し、その上で工事で稼げるという寸法です。

このビジネスモデルは電器店に高く評価され、アトム電器店チェーンへの加盟店数は、全国で900を超えています。このチェーンに参加して実現できる地域一番店戦略は、わがままな顧客に量販店並みの安い商品価格と地域専門店の高度なサービスを提供することです。

ただし、加盟店自身は顧客対応について何の変革もしておらず、アトム電器店チェーンの仕入れ能力頼みなので、将来の環境変化への対応ができるかどうかは不明です。ヤマダ電機の子会社になったコスモスベリーズのようなビジネスモデルも見られますので、どこまで大手からの独立性を保てるかも、要確認でしょう。

街の電器屋さん比較

まとめ

  • 高度成長期に数多く誕生した街の電器屋さんは、量販店の台頭とともに一方的な衰退を迫られている
  • その中でも元気に営業を続けているお店があるが、それらに共通する戦略が売上重視から粗利重視への転換である。その上で、量販店が提供しにくい高度な設備工事のサービスを顧客都合に合わせて小回りよく提供している
  • このようなサービスを求める顧客の獲得方法には、それぞれのお店の事業環境により異なる次の3つの類型がある
    • 大きな商圏ですでに十分な顧客ベースを確保している場合は、より高度な商品・サービスを求める富裕層に対象顧客を絞る
    • 絶対的に顧客が不足している田舎の零細店では、小物筠品で店売りを強化することにより、見逃していた地元の潜在顧客を獲得する
    • これといった特徴のない一般的な地域では、購買力のあるパートナーと組み、量販点並みの商品価格を提供することにより顧客流出を防ぐ

     

  • 以上の事例から、大型店の進出で売上不振に陥っている他業界でのコンサルティングでの参考として、次のような教訓が引き出せる
    • 業界が売上重視に染まって苦しんでいるケースでは、粗利重視への転換の有効性を検討すべきである
    • 量販店との競争を避けるためには、量販店が苦手なことを探すのが有効である