常識にチャレンジして売上高を上げる:提案型食品スーパーの歴史に学ぶ


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売上向上を妨げる罠に気づく

売上高向上のための施策をいろいろと考えても、技術的に困難であったり、すでに成功している利益向上策と相反するので実行をためらったりして、なかなかうまくいかないことが多いものです。

しかし、一段高い視点で眺めてみると、難しいと思うのは経営者自身が業界の常識に囚われているためであることが多いのも事実です。そして、この罠から脱出するための有効な方法は、他の業界の事例に学ぶことです。

今日は、食品スーパー発展の歴史から、この教訓を学ぶことにします。

前回の記事で日本の高度成長期にビッグストア(日本型総合スーパー)が繁栄したと述べました。その頃、現在私たちの近隣に数多く存在する食品スーパーは、儲からない商売として日陰の存在でした。

その背景には、食品スーパーという業態の価値がなかなか認識されなかったという事情があります。しかし、現在ではダイエーではなくヤオコーのような食品スーパーが、私たちの近隣でなくてはならない存在となっています。

なぜ、食品スーパーはそのような成長を遂げたのでしょうか?その裏には、先人達のたゆまぬ工夫があったのです。

アメリカでスーパーマーケトが発達した背景

その事情を理解するためには、そもそも食品スーパーという業態がなぜアメリカで最初に発生したか、それを説明する日米の歴史の差を知っておく必要があります。

一番大きな差は、アメリカの急激な人口増大と都市化です。

マス・マーケティング史によれば、1800年のアメリカの総人口は539万人で、都市人口はその3%でした。広大な土地に農民が点々と住んでいる国でした。

それが、1900年には人口7,600万人となり、そのうち40%が都市に住んでいます。ヨーロッパから大量の移民がアメリカの都市に流れ込んだのです。

このような世界でも類を見ない急激な都市化は、当然都市のインフラ不足を招きます。当時の食料品店は小さな専門店で、掛売りをして配達をもする「三河屋」のような形態で、庶民は買い物に不便を強いられていました。

このような不便を解消するため、各都市で公設市場が設けられましたが、1918年でも開設されたのは全都市の50%に止まっていました。しかも、当時は馬車の時代で冷蔵庫もないので、週に2−3回は買い物に出かけなければなりませんでした。

その間隙を埋めるようにして発展したのが、前回述べたA&Pのようなグローサリー(食品雑貨)チェーンでした。主として加工食品をワンストップで買える小型の店を、1929年には15,400店も出店したのです。A&Pの当時の売上高は、全米の非金融企業の5位という巨大企業となったのです。

さらに、1929年大恐慌の後に、食品価格を下げることに成功して大発展したのが、マイケル・カレンが発明したスーパーマーケットだった訳です。スーパーマーケットは、大型化によりワンストップショッピングを実現し商品の回転率を高めて成功したのです。

さらに、低価格でも利益をあげる仕組みとして、次の3つを実現しました。

  • セルフサービス
  • 店舗の標準化
  • 本部集中仕入れ

なぜ日本の食品スーパーがなかなか発達しなかったのか?

このような米国の事情と比較すると、日本で食品スーパーがなかなか発展しなかった理由が次のようなものであることが理解できます。

  1. モノ不足の高度成長期にビッグストア(日本型総合スーパー)が大成功したために、流通業の経営者たちにスーパーマーケットが本来は小商圏の食品業であることが理解されなかった
  2. アメリカと異なり、戦後日本の都市化が進む際に流入人口の失業対策として商店街が人為的に形成された。(商店街はなぜ滅びるのか参照)これを保護するために、1973年にビッグストアの圧力への対抗策である大店法(大規模小売店舗法)が制定された。その結果、第二種大型小売店(店舗面積500㎡以上)まで規制され、食品スーパーの本来の商圏である顧客の居住地付近での適正規模の標準店舗の立地が困難になった
  3. 生鮮食料品(特に鮮魚)のセルフサービス化が難しく、日本人の要求水準に合う品質の良い内食材料のワンストップサービスが提供できなかった

このうち1は、前回紹介した日本スーパーマーケット原論などの見方が広がることにより、徐々に認識が変わっていきました。また、2も最終的には大店法の撤廃により解消しました。

ということで、ここからは3の問題について検討します。

食品スーパーのアイデンティティの確立による発展:「毎日のオカズの素材の提供」

前回の記事でも述べたように、食品スーパーが業態として確立するためには、消費者に提供する価値(片付けるべき顧客の用事)を明確にする必要があります。

この提供価値を最初に明確にし、食品スーパーのアイデンティを確立したのが関西スーパーです。関西スーパーにおける経営の基本コンセプトは「毎日のオカズの素材提供者」です。(“本物”スーパーマーケットの時代参照)

このコンセプトに立てば、家庭の主婦に対して彼女たちが日常的に作るオカズの素材を、安定した品質で提供し続けることが食品スーパーの使命となります。突飛な品揃えは不要ですが、生鮮食品の鮮度の管理は最重要です。

このことは至極当たり前のことを言っているようですが、1960年当時は必ずしも簡単なことではありませんでした。というのは、鮮魚の加工品質が安定しなかったからです。

当時、鮮魚の加工は永年の経験を基にした職人の手で行われるのが常識でした。格上の職人が鯛などの高級魚を捌き、新入りは大衆魚を任されていました。

職人は自分たちの世界の秩序にのみ従い、近代的な企業経営には無関心でした。店の品揃え方針を無視し、自分たちの見栄で不要な高級魚を仕入れるなどのことも、しばしば起こっていました。

また、消費者が事前に加工された切り身を受け入れるはずがないという通念もあり、セルフサービスではなく対面販売が行われていました。その結果、注文があってから魚を捌くので、それ以外の時間は高級取りの職人が遊んでいるという問題もありました。

フレデリック・テーラーが製造現場を分析し科学的管理法を確立した時とちょうど同じ職人の世界が存在していたのです。(テーラーの「科学的管理法」の「哲学」は今でも通用する参照)

このような状況では、標準的な店舗を多数展開して経営効率を上げることはできません。この対策としてセントラルキッチンの導入なども試みられましたが、鮮度が落ちる、品切れを恐れると在庫がかさむなどのことがあり、どうしても店内加工が必要でした。

業界関係者が手をこまねいている時に、関西スーパーは、テーラーと全く同じように当時の社会通念に敢然として立ち向かいました。鮮魚の加工手順を分析・標準化して、パート社員が分業して作業をする方法を実現したのです。

鮮魚の加工

(「マルキョウ 野中店のアルバイト・バイト求人情報」より)

分業を実現するためには、流れ作業を可能にするハードウェアの開発も必要です。今ではすっかり当たり前になった下図のようなトレイカートも、この時期に関西スーパーによって発明されたものなのです。(流れ作業をするベルトコンベアのような大規模なものは、スペースが限られたスーパーのバックヤードには設置できないので、その簡易版として開発されたものです。)

トレイカート

(トレイカート シプラックカート5段90H Mタイプ :sn-521-0295:キッチンプラザ – 通販 – Yahoo!ショッピング)

さらには、顧客が加工された商品をセルフサービスで手に取れるようにする包装方法も開発されたました。

その結果、顧客がセルフサービスで商品を手に取るのと並行して、商品補充の加工作業をパートの分業で行うことができ、鮮魚加工の生産性が飛躍的に向上したのです。

「毎日のオカズ素材の提供」という経営コンセプトがあり、それをどう実現するかという順で考えたために、当時の社会通念では不可能だと思われた業務プロセスとその支援技術を開発できた訳です。目的思考で当時の常識にチャレンジすることで、売上高向上を実現したのです。

関西スーパーは、このようにして開発した加工方法や販売方法を惜しげも無く公開しました。この結果、日本の食品スーパー業界は、飛躍的に発展したのです。

メニュー提案で買い上げ点数を増やす

関西スーパーの後を追って「毎日のオカズの提供」ができるようになって発展してきた食品スーパー業界ですが、次第にその提供価値は当たり前になり、それだけでは顧客満足を得られなくなります。

競争に勝つためには、顧客である主婦の用事の中でまだ片付いていないものに目を向ける必要が出てくるのです。

次のステージの用事の片付けで先鞭を切って成功したのは、ヨークベニマルヤオコーです。両社が行ったのは、「食卓に載るメニューの提案」です。主婦にとっては毎日の献立をどうするかの悩みが尽きないからです。

これに対し、ヨークベニマルは「ライフスタイルを提案する企業」、ヤオコーは「食生活提案型モデル」などの標語を使ってアプローチしてきました。

具体的には、ヨークベニマルは1995年ごろに「赤ワインのある食卓」を提案するために、「今夜はビーフシチュー」という全社統一キャンペーンを打ったことがあります。

チラシや店内レシピを用意し、店長平台と呼ばれる台の上に国産牛スネ肉、ドミグラスソース、根菜類、ビーフコンソメ、トマトケチャップなどを乗せ、生鮮食品・加工食品全部門参加の提案を行いました。

1ヶ月のロング・キャンペーンの結果、過去の牛スネ肉の年間売り上げが年間1トンだったものが1ヶ月だけで2トンに達し、食肉卸市場で「東北地方で一体何が起こっているのか?」という騒ぎになったとのことです。

店長平台は、通常はこのような全社キャンペーンではなく、毎週末に各店舗での食の提案(冬の寄せ鍋など)をする場として使われています。

このような活動を通じて、ヨークベニマルは常に他社より顧客買い上げ点数が2点は多いことを目標として営業してきているのです。

一方ヤオコーは、店内に下図のようなクッキング・サポート・コーナーを設置し、関連食材を配置するとともに表示したメニューの調理実演をして、同様に買い上げ点数の向上を実現しています。

おすすめメニュー

クッキング・サポート・小オーナー

(ヤオコーにて筆者撮影)

常識へのチャレンジ:地域密着のメニュー提案ができる個店経営組織体制

このようなメニュー提案も一見簡単そうに見えますが、実現には組織的な工夫が必要です。というのは、食には地域性があるからです。

地域ごとに取れる野菜や魚が異なり、それに伴った異なる食習慣が形成されてきています。そのため、効果的なメニューは地域の特性を反映したものである必要があり、それがスーパーマーケットの本来の強みである「本部集中仕入れ」と相反するからです。

地域密着を可能にするためには、分権化(店長およびパート社員への一部の権限移譲と動機付け)が必要ですが、これを実行すると長年のスーパーの成功の源である本社の集中管理を否定することになり、踏み切れないのです。

ところが両社は、この常識にチャレンジし改革を進めました。具体的には、以下のような組織変革を実施し、地域事情を知っている店長の判断および地域の主婦の知恵の活用の有効性を証明したのです。

  • 毎週末に、店長平台に部門横断で季節や地域の行事にあったテーマのメニューを提案する。そのためには地域の主婦であるパートタイマーの知恵を借りる(ヨーク)
  • 地域の事情を理解しているパート社員に発注権限を与える(ヨーク)
  • パート社員の創意工夫を発表する会を設け、優秀者をアメリカ件研修旅行に派遣する(ヨーク)
  • クッキング・サポート・コーナーのメニュー作りをパート社員に任せ、必要材料を部門横断で自由に調達させる(ヤオコー)
  • 損益計算書をパート社員にも公開し、売上高経常利益率が目標を超えた場合には、パート社員にも決算賞与を支給する(ヤオコー)
  • など

ここでも、「献立を考える」という顧客の仕事を片付ける目的を初めに考え、それに従うことにより、チェーン店の常識である本部集中仕入れという常識を壊して売上高向上を実現したのです。

まとめ

  • 売上高を向上させようとしても、技術的に不可能と思われることに遭遇したり、他の売上向上要因とトレードオフとなったりして、一筋縄でいかないことが多い。しかし、それらの要因をよく考えてみると、難しいと感じる理由が自分が所属する業界の常識・社会通念に囚われているからであることが多い
  • そのような罠から抜け出すためには、いろいろな業界の発展の歴史に学ぶと良い
  • たとえば、食品スーパーの業界では商品回転率の高い大型店舗以外では安定した品質の鮮魚が提供できず、小型スーパーがなかなか発展しなかった。その理由は、かつてテーラーが製造業で分析したのと全く同じ職人制のもとでの仕事様式にあったが、その岩盤を突破することは不可能と思われていた
  • あるいは、地域の顧客に密着してメニュー提案をして買い上げ点数を向上させようとすると、チェーンストアの利益の根源である本部集中仕入れの効率性を損なうように思われ、なかなか踏み切れないということがあった
  • しかし、これらの難題のいずれも顧客に価値を提供することを徹底しようとした先進企業によって解決された
  • ここから学ぶべき教訓は、売上を上げるためには最初に「顧客の仕事を片付ける」という価値の実現を目的として確立するべきであるということである。目的が明確化されて初めて、社会通念に囚われることなく売上向上策を追求することができる